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教員クローズアップ:多言語・多文化の魅力、新しい言語を学ぶ喜び(II)

〜グローバルな視野を持ち世界へ踏み出そう〜

多言語・多文化の魅力、新しい言語を学ぶ喜び(Ⅰ) ~ キャンパスで学ぶ世界の言語と文化 ~へのリンクはこちら)

教養教育院 ヨフコバ四位 エレオノラ 教授

インタビュアー:教養教育院 福田 翔 准教授

「日本に魅せられた理由」や、ヨフコバ先生の故郷である「ブルガリアの魅力」、そして「新しい言語を学ぶコツ」 から現在取り組まれているご研究の話まで、 異なる文化に触れ、様々な体験をすることで得られる喜びや感動について、ヨフコバ先生のインタビューを通して感じ、多言語・多文化の舞台に踏み出し、学びの世界を広げましょう。 

▲ヨフコバ四位先生

多言語・多文化を生きる ~ヨフコバ先生のエピソード~

福田 次に、ヨフコバ先生ご自身のことについてお伺いしていきたいと思います。ヨフコバ先生は様々な言語・文化に触れてこられましたが、日本での生活、日本の文化についてどうお感じになられていますか?

ヨフコバ  私が日本に来たのは34年ぐらい前です。もうだいぶん前ですね。そのきっかけは私が所属していたソフィア大学と東京大学が協定を結んだことです。そのときの最初の交換留学生として日本に送り出されるという素晴らしいチャンスをいただきました。
日本では、留学の前からお世話になっていた日本人の家族の家にホームステイさせていただきました。そこで、なかなか体験できないことをたくさん経験させていただきました。当時の日本では、外国人が珍しかったせいか、いろいろなところでいろいろな人との交流の機会がありました。
私自身は、日本へ来る前から日本語や日本文化を学んでいたので、特にカルチャーショックを感じたことはなかったのですが、西洋とは違うところがたくさんあったので、毎日が新鮮でした。

ソフィア大学(ブルガリア)

私がホームステイしていたご家庭のお父さんが学習院の先生でしたが、その教え子の方が能楽の専門家でした。紹介していただいて、実は私も1年ぐらい仕舞(能における略式上演形態の一種)を学ばせていただいて、最終的に2回渋谷の能楽堂で舞わせていただきました。在学中は東大の安田講堂が工事中で、私が卒業する頃にちょうどオープンということで、記念イベントとして能楽の会をするということになり、そこでまたもう一回仕舞を披露させていただきました。本当に恥ずかしい限りですが(笑)。二度と経験できないようなことをたくさん経験させていただいて本当にありがたく思っております。

福田 ヨフコバ先生の母語はブルガリア語でいらっしゃいますが、日本で日本語も教えられており、さらに他にも様々な言語がおできになるとお伺いしています。これまでどのような言語に触れたり、話したり、学習されたりしてきたのかそのご経験をお聞かせいただけますでしょうか。


ソフィアの国立図書館
キリル・メトディウス兄弟の銅像(キリル文字の創始者)

ヨフコバ はい、学んだというか、かじった経験は色々あります。もともと小さい頃から語学が好きで、英語やロシア語を学んでいました。
ただ、私が生まれ育ったブルガリアが位置するバルカン地域は多民族、多言語の地域だったので、小さい頃から様々な民族や言語話者と接するのは当たり前でした。そのために、私の周りにも4か国語とか5か国語ができる人があたり前のようにいました。外国語は生活の一部になっているといってよいでしょう。そういった環境に小さい頃から慣れ親しんでいたために、外国語を学ぶということに関しては全く抵抗がありませんでした。
大学では言語学を専攻としていたので、そのプログラムの一環として複数の言語を学ぶ必要がありました。
主専攻はトルコ語でしたが、トルコ語以外に、トルコ語の学習やトルコ文化を理解するために、トルコと関係のある他の言語を学ぶ必要がありました。私はカザフ語を学びました。また、トルコの古典文学を読めるようになるためにアラビア語とペルシャ語も少し学ぶ必要がありました。学んだことは決して無駄になっていません。
また、ブルガリアは語学教育に関しては非常に厳しくて、主専攻のトルコ語以外にもう1つ副専攻語を選ばなければなりませんでした。私は日本語を選びました。それが日本語との出会いになりました。後になぜか、主専攻語と副専攻語が逆転して、日本語の方が好きになってしまって、それがメインになりました。

福田 まさに多言語、多文化の中で幼少期から過ごされたということですね。そのように多言語に小さいころから触れてこられた中で、学びやすい言語、学びにくい言語というのはありましたか。

ヨフコバ そうですね。トルコ語は最初発想をぜんぶ真逆にする必要がありました。なぜかというと、語順は日本語と同じで、それまで学んできた言語とは全く違うタイプの言語だったので、そこがいちばん大変でした。その後、トルコ語のあとに、例えばカザフ語だとか日本語を学びました。これらの言語は割とトルコ語と体系が似ているので、これらの言語を学ぶことはそんなに難しくなかったです。先ほど、外国語といえば何故英語だけなのかっていう話がありましたが、英語以外にも体系が違う言語を1つ学んでみると、ちょっと違う世界が見えてくるんじゃないかなと、私の経験から言えると思います。1つ学ぶと、また似たような言語が次に出てきた時は、そこに簡単に移行できるような気がします。

福田 言語の類型が異なるときは少し学びにくくても、よく似た類型の言語を学ぶときはやはり少し楽なのですね。

ヨフコバ そうですね。基盤を1回作ると、その上に重ねていくのはそんなに難しくはないかなって思います。

福田 学生が新しい言語の学習を敬遠してしまうのは、習得に時間がかかり、負担が大きいという要因があると思います。しかし、複数の言語を学ぶと、だんだん言語の学習も楽になり、さらに世界が広がりそうですね。また、ヨフコバ先生は様々な国にも行かれているということなので、その異文化体験のエピソードがあれば教えていただけますでしょうか。


ベルギー(ブリュッセル)

フィンランド(ヘルシンキ)

リトアニア(カウナス)

ヨフコバ 私は海外に行くことが大好きです。人によって海外旅行に見出す価値は違うと思います。例えば食文化とか、観光です。私も観光や食べることが好きですが、それ以上に人との触れ合いがとても好きです。なにげなくかわした挨拶や、微笑んだだけでも、それだけですごく癒されます。海外に行くと、自国にいるときと異なる次元の体験ができます。失敗もその一つで、失敗が思いがけない経験に繋がることもあります。私の失敗のエピソードを一つご紹介します。私は実はひどい方向音痴なんです。でも、そのおかげで、行こうと思っても行けないところに辿り着いたりしています。数年前にポルトガルのリスボンに行ったときのことです。私はバス停を間違えてしまって、あるバス停で1時間ぐらい観光バスを待ちました。当然、いつまで待ってもバスは来ません。そこを通りかかった他の観光バスの運転手が、私が長く待っていることに気づいて、私の前にバスを止め、自分が運転しているバスに乗せてくれて、私が実際行きたかった場所まで案内してくれました。しかも、料金はいらないと言うんです(笑)。ポルトガルの人はあまり英語を話しませんが、その観光バスの運転手も英語はできませんでした。私もいくつかの単語以外は、ポルトガル語はできません。でも、人とのコミュニケーションは必ずしも言葉が通じなくても成り立つということを実感できました。こんな風に、自分の国だけにいると、なかなか出来ない貴重な体験が海外ではできます。また、コミュニケーションというのは、決して言葉だけではありません。伝えたい気持ちがあれば、言葉が通じなくても、伝えるための手段はきっと見つかります。海外での人とのふれ合いはまさにそういうことだと思っています。

ベルギー(ゲント)

福田 とても素敵なエピソードですね。ところで、ヨフコバ先生はブルガリアご出身ということですが、ブルガリアと言えばヨーグルトがすぐに思い浮かぶのですが、ブルガリアの国について何かご紹介いただけないでしょうか。

ヨフコバ 日本ではブルガリアは認知度がそんなに高くない国だと思います。唯一ブルガリアヨーグルトが有名だと思います。そうですね。では、日本人にあまり知られていない国民性についての側面をお話しようと思います。ブルガリア人の特徴をあげてくださいって言われると、地理的、歴史的な背景を見なければなりません。バルカン半島について皆さんはどのくらいイメージできるでしょうか。ブルガリアが位置するバルカン地域はご存知のように“ヨーロッパの火薬庫”と言われ、第一次世界大戦の火蓋が切られた場所です。いろいろな民族や宗教が入り交じっている地域なので、民族間でのコミュニケーションもうまくいっていないケースもあります。ブルガリアはバルカン半島のちょうど真ん中にありますので、おそらく生き残るためにはどうしたらよいのかを意識することが特に強いと思います。そのような状況下から生まれたブルガリア人の気質あるいは生活の知恵とも言えるものとして2つあげることができます。1つ目は人との対立を好まないという点です。なるべく丸く納めようっていうのがブルガリア人の国民性の良いところだと思います。私はブルガリア人のそういうところが好きです。もう1つは、ユニークなユーモアのセンスを持っていることです。“ユーモアの街(ガブロヴォのこと)”というのがあるぐらいで、そこにはユーモアの博物館があり、ジョーク集まで出版されるぐらいです。ブルガリア人は初対面でも最初の挨拶でユーモアを言ってしまう、そういう文化なんです。

福田 なるほど、対立せず仲良く、そしてユーモアセンス、もともとそこには生存本能があるのですね。


ソフィアの中心部

ビザンチン時代の教会

ネフスキー寺院

ことばの探求と教育への応用 ~ヨフコバ先生の研究テーマ~

福田 では、最後にヨフコバ先生のご研究についてお伺いできればと思います。様々な言語に触れられてきたご経験をお持ちのヨフコバ先生ですが、どのようなご研究をなされているのですか。

ヨフコバ 私の専門は言語学です。今は主に2本立てで研究を進めています。一つは言語の比較対照の研究です。比較研究というのは、もともと似ている言語同士の比較のことですが、そこに対照ということが加わると、系統が異なる言語の比較ということになります。系統が違う言語、例えば日本語とブルガリア語の動詞のカテゴリーの比較を中心に研究を行っています。言語そのものが違っていても、例えば、ある文法に関しては日本語とブルガリア語は類似の特徴もあります。メインのテーマの1つとして「概言モダリティ」があります。難しい用語なので少し説明を付け加えます。これは情報の伝え方に関するもので、話者が持っている情報がどんな情報源から入手したのかを発話の時点で明確にしなければならないことです。つまり、その情報は話者が確実に持っている情報なのか(雨が降ります)、それとも推測しているだけの情報なのか(雨が降りそうです)、あるいは第三者から聞いたものなのか(雨が降るそうです)、その区別を日本語では発話上で明確にしなくてはいけません。日本語と親族関係を持っている他の言語、例えばトルコ語やモンゴル語、にもそういった特徴は一般的ですが、ブルガリア語が属するスラブ語には、本来そういう特徴はありません。そこで、研究ではそのような類似は何に基づいているのか、類型論や言語接触といった方法論を用いて探っています。言語そのものの体系が違っていても何かしら特徴が似ているところがあるので、そういうところがこの研究の面白いところです。研究のもう1つの柱は、今の仕事の中心である日本語教育に役立つ研究です。この研究では、最近ではICTの活用を取り入れた文法のオンラインツールの開発や、留学生のための文法の解説書を作るなど、学習者の自律学習の支援を進めています。

インタビューの場に参加した笹山先生(ロシア語担当)と高野先生(英語担当)からもヨフコバ先生へ質問がありました。

笹山 僕はブルガリアで開催された学会でソフィア大学に行って発表しました。その後にブルガリアの古都であるヴェリコ・タルノヴォに行きました。すごく美しい街で、食べるものも本当美味しくてすごく気に入りました。先ほどお話があったようにブルガリアはバルカン半島の中心に位置していて様々な国と国境を接しています。ギリシャ、ルーマニアやセルビアやクロアチア、北に行けばモルドバとかウクライナ、西に行けばイタリア、東に行けばトルコがあり、それ故にブルガリアは多文化、多言語の国だと思います。一方で日本はというと、もちろん歴史的には中国や朝鮮半島から文化が入ってきています。けれども、周囲が海に囲まれているので自由な行き来ができてきたわけではないです。ヨフコバ先生が接しておられる日本人の学生も日本は日本人が住んでる日本語の国だという生き方を18年間以上してきていますね。そこで、ブルガリアでお生まれになって様々な言語を学んでこられた先生から見て、日本人の学生のメンタリティは、ブルガリア人あるいはバルカン半島の人とかなり違いますか。また、日本人の学生にはもっと世界を見て学んで欲しいというようなことや、先生が今までの教育の中で感じてこられた日本の学生のメンタリティのいい面や、もっと勉強した方がいいと思うところがありましたら教えてください。

ヨフコバ 私は、日本人あるいは日本人学生は非常に真面目で純粋だと思います。その上で、集団の中での行動として気になっていることがあります。例えば、授業の中で質問した時に、分かっていても手あげない。そういう消極的なところが気になります。学生の皆さんは何か自分の意見は持っているのだと思うのですが、私はこう思います、ということを言えないだけだと思います。今まではそれでもよかったのかもしれないですが、もっと積極的な行動が増していくと、メリットも増えるんじゃないでしょうか。日本人の学生には日本から一歩出て世界を見て学んでほしいです。ヨーロッパ人は自分が考えたことを積極的に発言します。外国に出て国際的な仕事をする際に必要なグローバル感覚を身につけるためにも、もっと積極的になってもらいたいなと思います。

笹山 外国の人って積極的であり、個人主義の印象が強くて、一方、日本人は喧嘩したくないとかなるべくみんなで仲良くなろうとする傾向があると思います。先生のお話を伺うと、ブルガリアはロシア、アメリカやイギリスなどと違って、日本人のメンタリティと似ていると思いました。

ヨフコバ 日本人とブルガリア人が似ているという点は、その国民性だといつも思っています。人へのおもてなしの仕方なども似てるなと常に思います。そこで、ブルガリア人の「調和の精神」について少しお話しします。笹山先生はまだお若いので多分記憶にないと思うのですが、ベルリンの壁崩壊前にユーゴスラビアという国がありました。ユーゴスラビアがバラバラになって、そこから民族紛争が始まりました。ベルリンの壁崩壊の時はブルガリアの北にあるルーマニアではチャウシェスクという大統領が裁判なしで最終的に殺されてしまいました。その時、国民の怒りが爆発した時期があったのですが、その混乱の時代の中であっても、ブルガリアでは非常にスムーズに平和的に前の政権から新しい政権へと民主的に移行しました。なるべくそういう騒ぎや喧嘩沙汰をやめましょう、というのが恐らく長い歴史の中で培ってきたブルガリア人の知恵かなと思います。

高野 ヨフコバ先生は、大学の時にはトルコ語が主専攻で日本語が副専攻だったと伺いましたが、それがいつの間にか日本語のほうに興味が逆転して、東京大学に来られて、今も日本に暮らしていらっしゃいます。日本語や日本という国に先生が何か魅力を見出してくださったということなのでしょうか。富山の人たちは富山には何もなくてと皆さんおっしゃるのですけど、外国から来られたヨフコバ先生から見て、日本人が自分では分かっていない魅力などを教えていただけたらと思います。

ヨフコバ そうですね。もちろん、日本語がものすごく好きでした。それに、トルコは隣の国なので、ある程度は知っているのですが、日本は極東で非常に離れた国なので、学ぶこと何もかもが新しく、そこが非常に魅力的に感じました。だから 言語だけじゃなくて文化などにも惹かれました。西洋の人から見て、日本は遠くて神秘的な国です。また、私が大学に入ったころはちょうど日本がバブルの頃だったので、日本社会や経済の発展にみんな驚いていました。当時、ブルガリアでは、日本のことを「小さな奇跡」と呼んでいました。さらに、日本語を習い始め、知識を得始めたころは、日本語と日本文学を教えてくださっていたブルガリア人の先生の大きな影響もあり、日本文化や文学に興味がわいてきました。文学では、小林一茶が特に好きで、今でも研究室には「一茶全集」が置いてあります。日本文化の中で、特に興味を持ったのは「わび・さび」の文化です。また、日本文化では、言葉をたくさん使わなくても伝えたいことをきちんと伝えられるというところが好きですね。こういうところは、西洋の文化とはかなり違いますからね。

ヨフコバ先生のお話を伺って、いろいろな言語を学び、いろいろな国の人に接するということが、とても大事だと思いました。日本は島国で多様な民族が共存しているわけではありません。そのため、日本人は仲間ができたらその仲間の中だけで完結するようなところがあるように思います。しかし、いろいろな言語を学ぶことによって世界が広がり、自分の殻から自分を解放していくことができ、多くの人と繋がることができると思いました。本日は大変に良いお話を聞かせていただき、ありがとうございました。